脅すなよと言われるけれど
スピリチュアルはいつのまにか「引き寄せの法則」ができるかどうかになってしまった感があります。スピリチュアルの入り口は、「どうしたら、この人生の苦しさから抜け出せるのか?」ということだったと思うのですが、いつのまにか「人生成功」の哲学のような世界になっています。
「人生は修行だ」というところが原点だった、私たちの時代とは、何か違っています。
だって、今は、いつのまにか「人生は、ディズニーランドのように魂が遊ぶための場所」のような、意味合いになっていますしね。
さて、スピリチュアルな世界ですが、スピリチュアルな世界は、神社参拝とセットのところがあります。
神様のことは、大事なことの一つです。
占い師としてのスタートは、占いよりも、そういった見えない世界を学び、その学びを伝えたいと思ったからでした。
そして、「お墓」「先祖供養」は基本中の基本であり、自分の菩提寺への参拝、産土(うぶすな)神社の参拝、鎮守神社の参拝は、絶対に必要なものだと教えられて、必死にやっていました。
だから、スピリチュアルを学ぶ、生きるというのであれば、「お墓まいり」「産土神社参拝」「菩提寺参拝」はやったほうがいいと思っています。
まあ、これを占い師の立場で「お伝え」していた時は、「やはり運が良くなるには、こういったことが大事だよ。という脅しになってるのかな?」という思いはありました。
では、本当に必要なのか?
では、その3つのことは、本当に大事なのか?といわれると、「まあ、大事でしょうね」ということになります。ただし、絶対ではないとも思っています。
政治家、リーダー、など多くの人々の賛同を得ることで成り立つ立場の方々がいます。その方々は「お墓まいり、神社参拝、菩提寺参拝」はほとんどの方がやっていると思われます。(よく週刊誌の記事になりますね)
私のクライアントさんも、そこは抑えている方々が多いです。
それくらい、人の後押しをいただくためには、何らかの「力」が必要だということを知っているからだと思います。
また、多くの方々の鑑定をしてきたことで、この「お墓まいり」ができていない方々には、家族の離散、母親失踪、父親失踪、兄弟行方不明・・など家族がバラバラになっている例をたくさん鑑定してきました。
「お墓がわかりません」
「お墓まいりに行ったことがありません」
「お墓がありません」
みなさん、共通していたのは、「お墓まいり」ができていなかったこと、そして、神社参拝も、当然菩提寺参拝も・・です。
見えない世界は人情の世界でもある
「自分の努力で何とかする」「人に頼っていけない」「自分の人生は自分の力で切り開く」
一見、素晴らしい意思決定なのですが、見えない世界を侮りすぎです。
私たちは、「多くの存在」から助けられ、つながれ、応援されていく存在です。
それは、見えない世界のご存在達にもいえることです。多くの存在達は、知らないところで、守ってくれているのです。
守護霊様、指導霊様、守護先祖霊団、産土の大神様、鎮守の大神様、多くのご存在達は、見えないけれど、守ってくれていて、そして、時に叱咤激励して、時に戒め、そして、魂の成長に繋がるように導いてくれています。
そして、「一切の見返りは期待していない」
けれど、実は、感謝されるととても輝くのです。とても喜びの波動になるのです。自分たちは、見えないので、その存在を知らなくても全く構わないのですが、「感謝」というエネルギーは、とても嬉しいようなのです。
関心を持ってくれて、そのことに感謝という思いで、返されることは、「見返り」を期待しないという存在達でも、とっても嬉しいようなのです。
だから、できれば、気持ちをそちら向けてもらえるだけでも、自分の何かがホッとするはずなのです。
そうやって、見えないご存在達と、私たちは共同作業で、この人生を生きているのです。
以外とスピリチュアルの世界も人情の世界だったりします。
あっ、土地の話は次回に書きますね。
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